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デザイナーにとって、
デザインの知識って、どこまで必要なんだろう。

例えば「補色」。

青の補色は黄色。
緑の補色は赤。

それぐらいは当然として、
それ以上の詳細な知識ははたして必要だろうか。

この時代、ネットで調べれば何でも出ている。
補色もしかり。

であれば、補色の知識を頭に入れるより、
自分が「美しい」と思っている色の組合わせを
いくつも覚えていた方がよっぽどいい。

最低限の知識と、自分だけの価値観。
それで十分。

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よく、「デザインはアートではない」と言われます。

デザインは、物事を効率よく相手に伝えるためのもの(視覚伝達の手段)であり、
自己表現の場ではない、と。

確かにある部分ではそうかもしれないけれど、
デザイン賞を受賞しているような優れた仕事というのは、
もはやアートとしか思えません。

日頃から感性のアンテナを立て、
同じものを見ても普通の人とは違うことを感じ取る。

そこから直感的なインスピレーションを受け、
自分なりの解釈でオリジナルなアイデアや表現に落とし込む。

さらに印刷や加工の技術を駆使して、
美しい色彩や心地よい質感をどこまでも追求しようとする試みは、
もはや芸術、つまりアートです。

学生や経験のないデザイナーが、
狭い領域の中で自己満足的に作り上げたものは、
例えそれが自己表現だとしてもアートとすら呼べません。

逆に言えば、経験を積んで、クライアントの心理や、
デザインで伝えるべきことのツボが分かれば、
大いに自己表現をすべきだと思います。

そうでなければ、人の心は動かせません。

そういう意味で、「デザインはアートである」と思います。
2012.10.30 紙は器
今一緒に仕事してる印刷営業さん、
こっちがいろんな紙や加工を提案しても、嫌な顔1つせず、
“これ出来たら面白いね!コスト当たってみるよ。”などと言ってくれる。

今まで紙や加工の話をし出すと、面倒くさいオーラ出す人がほとんどだったので、
こういう人が味方にいてくれるととても助かる。

紙は料理で言えば器だから、一も二もなく“コート紙で!”とか言われると、
自分的にはせっかく作った料理を紙皿で出さざるを得ないような無念さがある。

“予算が無いから紙は選べない”ってのは半分言い訳。
定着のことが頭にないからそうなるのであって、
最初から定着のことまで頭に入っていれば、予算内で配分するなどの方法があるはず。
実際予算が無くて無理であっても、最初から候補に入っているのといないのでは、
こちらのモチベーションも違うし、定着に対するスキルも上がらない。

愚痴っぽくなったけど、
要は違いの分かる男、こだわりのある男と仕事が出来るって、
楽しいし幸せだなって事で。
2012.10.05
景気後退、予算削減で、
真っ先に削られる広告宣伝費。

撮影無しで安いストックフォトを使用し、
イラストはフリー素材で間に合わせ、
入稿は顔合わせ無しのデータ送信、
校正は簡易校正のみ、
みたいな仕事が増えているけど、
作り手は絶対それに慣れちゃいけない。

それを当たり前のように続けてると、
デザイナー筋力はどんどん落ちてゆく。

カメラマンとのやりとり、
現場での思いがけないカット、
奇跡の一枚、
プロが描き下ろした惚れ惚れするイラスト、
印刷担当者との駆け引き、
色校での指示入れ、
最大限伝わるように頭をひねって入れる赤字。

そういうことが積み重なって、
「良いもの」が出来上がるんだから。

もちろんなかなか上手くいかないし、
全部がピタッと嵌ることなんて稀。

でも、それが次の仕事へのモチベーションに繋がるし、
嵌った時の快感を味わうと、
デザイナーは辞められない。

だから、例え古いと言われようと、
そのやり方を忘れないようにしたい。

アイデアって、必要なときに慌てて本を読んだり、
資料を漁ったりしても、浮かんでくるものではない。

常日頃から、いろいろなインプットをしておいて、
それが時間をかけて醗酵・熟成されて、
いざというときに、一滴のしずくのようにポタッと落ちてくるもの。

そんな気がする。

デザインが果実だとしたら、
自分という畑は、果実を取れば取るほど痩せていく。

栽培方法が確立されていれば、
休みなく果実を収穫することは可能だけど、
土が痩せていくので、その味は少しずつ落ちてゆく。

時に畑を休ませ、肥やしを撒いてやることが必要なのだ。

どんなに忙しくても、そのための時間を作って
自分に栄養を与えてやらないと、
いざという時に、いいデザインはできない。

あと、もう一つ、よく思うこと。

例えば、ある電化製品の広告を作るとき、
他社の電化製品の広告を参考にしたら、
それは二番煎じにしかなり得ない。

他社の広告を研究して、
他社がやっていないアプローチを取るなら分かるけれど、
世の中に溢れる電化製品の広告に倣ってしまっては意味がない。

でも、それをやろうとしている企業は非常に多い。
これは広告に限らず言えること。

“○○みたいな感じ"で作ったものは、オリジナル以上にはならないし、
作り手の思いやパワーが注入されていないので、
出来上がったモノにオーラが感じられない。

オーラが感じられないものは、人を惹きつけない。
つまり、作る意味がない。
満足しているのは担当者だけ。

短期的には効果が上がっても、
長期的にはその企業の姿勢としてプラスにはならないと思う。

例えそれがスタイリッシュでなくても、
“ウチはウチ"的な、腹の括り方をしている企業は、
カッコイイし、魅力がある。

そういう企業がたくさん存在する世の中はとても魅力的だし、
ひいては日本のナショナリズムにも繋がっていくのではないだろうか。